帰省中の出来事・お国自慢初詣編

初詣というか、1/1に2社に神社詣でをしました。
1社目は、いわゆる村の鎮守の神様で、ゆく年くる年が終わってすぐ、深夜のうちに詣でてきました。
系列としては貴船神社らしいのですが、小さい神社なので、神主さんは常駐しておらず、祭りの時は近郊の数社を兼任する人が呼ばれます。管理は集落内で6組に分かれての回り持ちになっており、私の実家が回りもちだったのは昨年度でした。今年の正月は晴れたので非常に楽でしたが、昨年はひどかったです。雪が20センチくらい積もっており、更にうちの故郷の雪はボタ雪で、降ったら一旦融けながら再度凍るという状態のため、地面が完全に凍ってました。その中をお宮の中の竹を切って門松や注連縄用の柱をたてるという作業を延々やってました。凍りついた竹は、冷たいというより痛いです。
雪国の人から見ると、20センチくらいの降雪なんて雪のうちに入らないかもしれませんが、わが故郷ではここまで積もるのは5年に一回くらいで、余りなれていませんので、つらいです。いつもの年は10センチくらいしかつもりませんし、そんなに長くは残りませんので。もっとも、大分県の中では、この県北部地区つまり、旧豊前のエリアのみがこうゆう降雪がある地区なようです。実家で読んだ新聞で、大分市(県中部)で、1センチの降雪でバスが運休したという記事を見たときは流石に目が点になりました。県北部では、10センチでも運休せず、20センチだと徐行運転というところなので。旧国名豊前・豊後って、こうゆう気候の違いで分かれていたのかと納得したところです。
2社目は、1/1の午後に、薦神社*1に行きました。
この神社は、大貞八幡という別名からもわかる通り、八幡社の系列の神社です。全国に八幡社は3万とも4万とも言われているそうですが、その総本山は中津の隣の市にある宇佐神宮*2です。日本の八幡社のほとんどは、宇佐神宮から枝分かれしたものですが、この宇佐周辺にはそうでないものがあり、その中でも特殊なのがこの薦神社です。
薦神社自体の建立は9世紀半ば*3宇佐神宮神亀2年(725年)に比べて新しいのですが、この薦神社の内宮兼御神体であるみすみ池がどうもそれ以前から八幡三神関連の由緒正しい土地であったらしく、宇佐神宮の祖宮とも呼ばれています。現在でも、宇佐神宮の宇佐行幸会の際に神輿に納める霊代の枕はこのみすみ池で採った真薦を使って作られますし、八幡神勧進もこの薦の枕を使用します。
建立は9世紀ですが、この神社の建物自体は新しいものです。というのも、源平争乱の時と戦国時代との2回焼失してしまったのです。現在の建物は、門が江戸時代初期、本殿が江戸時代末期に立て替えられたもので、その後も何度も修復されているため、あまり由緒あるような古さを感じません。祭られている神さまは、本殿に宇佐と同じ八幡三神*4、それ以外にも何柱かの神様が祭られています。本当のお参りの仕方では、本殿は左から三柱の神様を順にまわることになっているのですが、なぜか真ん中の比竎大神さまのところだけ混んでいたので、神宮皇后さまだけ参ってきました。いや、左に行くには行列を横切らなければならないので。

*1:薦八幡、大貞八幡とも言う。

*2:日本書紀に記述のある道鏡事件なんかで有名です。

*3:承和年間(834〜848)としか伝わっていない。

*4:左から順に、応神天皇・比竎大神(ひめおおかみ)・神功皇后